いつか素敵なおばあちゃんになれたら。

甘く、優しく、軽やかに生きよう。

子どもは一気に成長していく。

長女のクラスの友達が昨年のクリスマスに夜中こっそり録画をしかけたらしく、サンタの正体を知った話を長女にしたらしい。
最近の子どもはハイテクだなあ。

もう少し信じていてくれるかなと思っていたけど、小学三年にもなるとまあ限界か。

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次女は来年小学校に入学なのだが、ランドセルに喜ぶ反面「小学校いきたくない」「勉強ついていけないかもしれない」と不安を吐露した。

わかる。
わたしも幼稚園生の時、めっちゃ思ってた。
でも親に言えなかった。言っても無駄だと思っていたから。

娘は私の幼少期とは違う。
我が子が親に不安を打ち明けてくれることが嬉しい。
親を信頼してくれているということだから。

「あなたが不安なのは未来のことを想像できるからだよ。未来のことを想像できるということはあなたはとても賢いってこと。そんな賢い子が、学校で習う勉強についていけないなんてお母さんは思えないけどな。」
と私が言うと、泣き顔が少し笑顔に代わってそこから次女は「小学校楽しみ!」と話すようになった。


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先月、長女の参観日に長女の友達から「◯◯ちゃん(長女の名前)のお母さん?」と聞かれてそうだよと答えたら「ビジン」と言われた。

ビジン…?
え?美人?
声が小さかったから聞き間違えかもだけど、そう聞こえた。

嬉しーと思いながら校舎の階段を下りていると踊り場にある鏡に自分が映った。

顔にしっかりほうれい線。そして半袖から見えるジムで鍛えた二の腕。

ブジン?

ビジン(美人)じゃなくて、ブジン(武人)だ。
いやきっとそうだ。武人にしか見えない。


しばらくしてまた別の友達から「◯◯ちゃんのお母さん、かわいーね!」と言われて今回は確かだ言質とったぞと喜んで夫に話していたら、長女から私へ一言。
「そういうのって自慢っていうんだよ。自慢は一番さいあくだよ。」と。

夫の反応は「良かったね。そう言われると嬉しいよね。」これは男のスタンス。
女は違う。「それって自慢?(うざいよ)」これがもう長女は始まっている。

娘というのは、いつしか一番厳しく自分をはっとさせてくれる存在となる。






しかしだね、40にもなるとほとんど可愛いと言われなくなるから例え子どもであってもそう言ってもらえると新鮮で嬉しいのだよ。
ママ友なんて髪型変えてもネイル変えても無反応が一般対応なのだから。
学生の頃の友人みたいに「それ可愛いね!」という会話が今はもう皆無だ。
言われないし私もあんまり言わない。
最初は言ってた気もするけど、そんな空気感でもないんだなと途中からやめたかも。
子どもが発する純度の高いピュアなものは大人になると発しなくなる。


でもこの夏ママ友三人で集まった時、私以外の二人が褒めあいっこを始めて私にも振られるのかなとそれなりにかまえていたら私のことはスルーして終了したのはおっと思ったよね。
社交辞令をかわす構えはできていたというのに。不要だったようで。



とにもかくにも、すれ違いの高齢男性にババアと言われた傷は子供たちの言葉で癒されたわけである。(まーだ根にもってる?)

そしてどんどん子どもは成長していく。
これから発する言葉もどんどん変容するだろう。


今日の朝はいつも通り長女はパジャマ裏返しで脱いでほかす、次女はきちんと脱いでたたむ、三女はまだ小さいのでありのまま。
長女は何回言っても直さないデフォ。
次女は一回で直す、さらに声掛けをしてくれる(こうしたよとかこうしたほうがいい?とか)。

床にはなたれたパジャマが3つ。それを指さして三人に声をかける。
三人は爆笑する。(三女はあまりわかってないが姉につられて笑う)

長女には「君は何度言っても言う事聞かんけど、それはそれで子供らしくて良し。」と。
次女には「いつもママを気遣って言うことを聞いてくれてありがとう。だけどあんまり全部聞いていたら高校生になったらママなんて嫌だー!!ってなるかもしれない。だから全部が全部完璧にしなくていいんだよ。」と。次女は反抗期の概念がわからずキョトンとしていたけど、親としてはあまりに優等生然としすぎなのも我慢しているのではと心配なのである。


子どもへの声掛けって難しい。
かけた言葉がダブルバインド(二重拘束・矛盾)になる可能性もあるし。
悩むこともあるのだが、誠実さだけちゃんと残しておけばきっと子どもに伝わるのではと思う。